お侍様 小劇場 extra

     “新緑・ぴかぴか” 〜寵猫抄より
 


 久蔵が時々お空を見上げては、なんであんなところにお魚がいるのだろと小首を傾げていたGWも、こちらの家人らにはさして変化のないままに幕を下ろして。緑の多いお屋敷町、あちこちの生垣や木立に萌えいづる若い葉の、発色のいい新緑が目にも爽やかな昼下がり。駅までの道のりをのんびりと辿りつつ、そういえば過日は、今ほど毎日のように買い物へ出掛けなかったような気がすると、今頃になって気がついた七郎次だったりし。勘兵衛も七郎次も、一応は青年男性だし、月に2、3度は道場に立って竹刀を振る習慣が抜けない程度の武道の心得もあり。よって、基本代謝も高い方なままであり、さほど食が細いということもなかったし。執筆業を生業
(なりわい)とする勘兵衛が、何かが降りて来ての集中に心奪われ、仕事に構けるあまり偏食気味にならぬよう。バランスのいい食事をきちんきちんと用意し、手が空いた時にちゃんと食べてくださいませねと、そこは煙たがられても怯むことなく徹底させてもいたのだが。

 “好き嫌いもなくの、あまりがっつく方じゃあないから。”

 となると、二人分の食事に要りような食材の量なんてものは知れており。しかも、講演だの取材旅行だのに出ることも多かったので、家での調理自体もそうそう頻繁じゃあなかったし。そんなこんなで、冷蔵庫が半分も埋まっておれば、それで1週間くらいなら十分余裕で過ごせてもいたため、ご近所の商店街へは せいぜい月に2、3度顔を出すくらい…でいたものが。

 「おお、シチさんじゃあないか。」
 「こんにちは。今日の出ものは なに?」

 駅前の商店街に顔を出すのは、昼下がりにと決めている。お客で混み合う時間帯には、到底“連れ”を同伴させられないからで。昼食をとる人、食休みをする人の多いせいだろ、どこか閑散とした空気の漂う、平日の1時を過ぎた頃合い。陽に褪せたビニール製だろう幌の日よけの真下、道へ少々出っ張らせた陳列台へ、新しい商品を盛ったカゴを並べ直していたものが。おやと顔を上げ、相好崩したおじさんへ。こちらも色白な細おもてをはんなりとほころばせ、お薦めの出ものはと訊いた七郎次だったが。今時でも玉絞りの手ぬぐいで鉢巻きしているのがトレードマークの、闊達そうなご主人を押しのけて、

 「キュウちゃんも、元気そうだねぇ。」
 「にぁん♪」

 奥向きから出て来た元気のいい女将さんが、前掛けで両の手を拭き拭き、気さくなお声をかけたは、その七郎次が片方の腕でひょいと抱えていた“連れ”の仔猫さんの方へ。七郎次の腕へと突いた前足を真っ直ぐ伸ばしての、まるで幼子が頑張って背伸びをしているかのようにし。好奇心に尾を膨らませつつ、赤みの強い真ん丸な双眸をぱちぱちっと瞬かせ、稚くも細い声で“にゃあ”と鳴いて見せたりすれば。うんうんとその愛らしさを噛みしめてから、こちらもなかなかに恰幅のいい奥さんが、甘い甘いお声をかけてくださる。
「ほれ、こっちおいで。おばちゃんが小柱あげようね。」
「みゃあうvv」
 ご当人からして早くも身を乗り出しているおチビさんを、伸ばされた手へリードごと渡すのが、お願いしますと言う代わり。様々なお店が軒を連ねるその入り口間近いこの魚屋さんで預かっていただき、その間にてきぱきと回るのが、八百屋に肉屋、総菜・乾物、お茶屋に和菓子店という一通り。出がけにメニューを決めての出陣なので、何も全部回る訳でなし、買い物自体はいつだって、ものの5分もあれば済んでしまうのだけれども。それでも…生鮮食品を商うところへ仔猫を連れてくなんて、ある意味、大変非常識なこと。七郎次にもそのくらいは重々判っており、最初からこの子を同伴してここへと通っていた訳じゃあない。

 『おやおや、島田先生のところの。』

 ご主人も出掛けていたものか、駅の改札から出て来たところへ声をかけられ、そうそう、先生がお好きな関サバが入ってねと誘われた。その折も久蔵を抱えていた七郎次は、
『あ、それじゃあ、この子を置いて来てから伺います。』
 勘兵衛がいないので連れて出て来たのではあるが、買うものが決まっているような短い間のお留守番くらいなら、何とかこなせもしようと思っていたところ。
『何を水臭いこと言ってんだい。』
 紐ついてんだろ? なに? りーどっていうのかい? それで繋いでんだったら平気だってばよ、そんな小さいの。そんでも気になるなら、そうさな、ウチのカカアに預けりゃいいからさ…と。あっさりと許諾をいただき、しかも奥さんというのが大の猫好き。商売が商売で、しかも住まいがすぐ上の二階という環境なので、飼いたくとも飼えなくていたんだそうで。そこへと連れ込まれた愛らしいメインクーンの仔猫さんは、きゃああ…vvという、連れ添ってン十年のご主人さんでも、一度も訊いたことがないと言ってた甘い悲鳴で迎えられ。それからというもの、よくよく脂ののったシシャモだアジだをおやつに頂きつつ、女将さんにかわいい可愛いとじゃらされるのが、今や久蔵の毎日の日課となってしまっているほどで。

 「今時といやぁ、やっぱキンメだな。」

 茨城の方で揚がったのが入ってるよと、砕いた氷を敷いた陳列棚の真ん中あたりへ手を伸ばし、真鯛よりも長四角な印象のする鮮やかな紅色の鮮魚を二尾ほど載っけた平ざるを引き寄せた。大きな目が金色なので金目鯛という名前なんだそうで、初ガツオを有り難がるよりこっちを喰わなきゃと、かっかっかと笑ったご亭主であり。

 「う〜んと、じゃあそれをもらおうかな。それと、丸アジがあったらそれも1本。」

 焼いてもいいし、イワシみたいにショウガと梅干しを入れての飴炊きにしても美味しいでしょ?と、金髪に青い眸の、フランスあたりのお貴族様のように透明感あふれる美貌の君が、何とも和風な献立を口にするもんだから。慣れのない人が見れば聞けば、途轍もない違和感に ついついぶっ飛んだかも知れないけれど。

 「先生は相変わらず、魚が好きなんだねぇ。」
 「ええ。」

 でも骨から身をほぐすのは何時まで経っても苦手なんですよ、なんて。こそりと暴露する、お茶目な古女房であり。それへ、
「おやおや。じゃあ久蔵は、そんな後のお流れをもらっているのかい?」
「何言ってんだい、お前さん。」
 こんな可愛らしい猫ちゃんが、アジだのサバだの、大きな魚のごつい骨にお顔を近づけようもんなら、あっと言う間に怪我をしてしまうじゃないか…と。働き者の大きな手の中に抱えられ、くりんと丸まっている小さな毛玉のような仔猫を庇い、そんな反駁を持ち出す女将さんだったりし。他にはお客がいなかったので、聞くともなく聞いていたらしい女将さんのお言いようへは、

 「あはは…まあそんなところですかね。」

 実は立派に一人分のお膳を仕立てて、焼き魚でも煮魚でも、七郎次が丁寧に身をほぐしてから、箸の先や手のひらへと乗っけちゃあ手づから食べさせておりますとは、

 “…ちょっと言いにくよなぁ。”

 だって自分や勘兵衛には、この仔猫が幼稚園前くらいの幼児にしか見えないのだもの。ふくふくとした頬に、潤みの強い、鈴のようにぱっちりとした双眸の、そりゃあ愛らしい和子であり。しかも、そこは猫のままだからか、箸もスプーンも掴み切れない構造の手であるらしいとあって。顔を食器へ突っ込ませるのも何だからと、ついつい七郎次がそんな甘やかしを続けている次第。

 「それにしても、シチさんも相変わらずにきれいだねぇ。」

 今日は他には買い物はなかったらしく、代金と交換に、ビニール袋に入れられ、新聞紙に包まれたのを手渡された金目鯛とアジを、トートバッグへすべり込ませた七郎次へ。名残り惜しげに仔猫を返しつつ、そんな言いようをなさった女将さん。

 「やだなぁ、きれいだなんて。」

 褒めたって今日はこれ以上は買えませんよ、明日は明日でまた買いに来ますからねと。馬鹿なことは言いっこなしだとばかりに、苦笑でもってあしらえば。女将さんもまた、顔の前で手を振って、

 「それこそヤダねぇ、お世辞なんかじゃないったら。」

 第一印象は、金髪と青い眸にハッとさせられちゃうけれど。よくよく見れば外人さんじゃあないって判るような、線の細い顔立ちをしていて。

 「ホント、キュウちゃんみたいな洒落た猫が似合うったらないものねぇ。」

 胸元にフリルブラウスの飾りのような、純白の綿毛が一際ふさりと盛り上がっている、何ともおしゃれなシルエットが、メインクーンの仔猫の一番の特徴であり。このまま順調に大きくなればなったで、今度は全身をふさふさな毛並みが覆う、ちょっと大きめの優雅な猫へと変貌してゆくはず。いかにも愛らしく、気品も微妙に感じる姿のお猫様にはお似合いと仰有りたいらしいのへ、

 「何ですよう。奥さんだって、ほら この間の市民フェスティバルのパレードで。」

 ハワイアンのサークルの皆さんで、優雅なフラダンスをご披露してらしたじゃないですか。ヤダ見てたのかい? 恥ずかしいねぇと。照れた振りをしながら別のお客さんへと向かってってしまったのを見送れば、

 「シチさんよ、ウチのかかあを あんまりおだてねぇでおくれな?」

 こそっと小声で囁いたご主人。そのサークルだって調子ん乗ると店をおっ放ってまで練習に出て行きかねねぇ。そのパレードの時だって、あのあっぱっぱみてぇなの、新しく買わされてよと。ちょみっと渋い顔になったご亭主だったのだけれども。

 「………あっぱっぱ?」

 帰ってから勘兵衛に訊いてみれば、ほおご亭はそんな古い言葉を知っておったかと、顎髭を撫でつつ感心しきり。そんな仕草に惹かれた仔猫が、抱っこされたご当人の懐ろから自分も猫パンチをひょいと伸ばして来るのを、これこれよしなさいといなしつつ、

 『ムームーとかいう衣装があろう。今時は“フラドレス”かな?』
 『…あ。』

 勿論、ムームーそのものと同じではなく、そこは魚屋さんも“〜のようなもの”と皮肉ったつもりだったに違いないと勘兵衛が苦笑を深めてしまった、昭和のご婦人が暑い盛りに着た、ワンピースのような形のホームウェアのことで。木綿のサッカー地やクレープ地という爽やかな生地で仕立てた、ラフな形をした着物なせいか、今でもお年を召したご婦人に愛用者は多い。昔はそれこそ、白地にドットやストライプ程度の柄という、見た目も爽やかなものが主流だったが、今時には シンプルなものから大胆な極彩色のものまでと、作り手の感性の数だけバラエティも豊富…って。勘兵衛様もまた、そんなものまで把握してなさるとはさすが作家せんせいですねぇ。
(苦笑)





       ◇◇◇



 よく、子持ちの家庭は一番小さい子供に何でもかんでも合わせるものだというけれど。時間がないと勘兵衛へだけの食事を作り、自分は適当なもので間に合わせる七郎次ではなくなったのも、あんまり余計な外出や外食をしなくなったのも、そういえば久蔵との同居が始まってからであり。できる限りは一緒にいてやりたい、美味しいものを食べさせてやって、満足そうに目許細めて笑うお顔が見たいと思う気持ちがそうさせるんだと、今になってしみじみと実感する七郎次がいたりする。料理のレパートリーが増え、同じものの連続にならなくなったし、それでのこと買い物にも頻繁に出るようになった。

 “色んなものをもっとって、手を付け出したから、か。”

 …ということは、勘兵衛へは気づかぬうち手を抜いていたのかなぁと、そっちの反省もちょこっとしつつ。
(苦笑) 家族ぐるみのお付き合いだとか、長年の行き来があるような、深い交際のある相手だけじゃあなく。ご近所の知己知人の皆様へも、仔猫の姿でではあるが、すっかりと顔を繋ぎつつある久蔵であり。さっきの商店街でも、短縮授業で早く帰って来た子供らに、我も我もと抱っこさせてとせがまれることもあるくらい。ピンと立った小さなお耳をふるるっと震わせて、ぱかり無造作に小さなお口を開くと。どこか録音されたものの再生のようなトーンで“にゃあ”と一気に鳴く。その稚さが幼さが、何とも言えず愛らしい。リビングのローテーブルの上には、先だって出掛けた花見の折に撮った写真、プリントアウトされたのが幾枚も広げられていて。同行した林田くんがたくさん撮ってくれたそのどれにも、七郎次や勘兵衛があやすように抱えた久蔵も、一緒に写っているのだが。残念ながらそのどれもが、ころんと丸ぁるい、小さな小さな毛玉のような仔猫の姿。キャラメル色のふわふかな毛並みも、まだまだ頭の大きい幼さも、その儚さで胸底を鷲掴みにされるような、何とも言いがたい愛らしさではあるけれど。

 「みぃあvv」

 窓辺のラグの上、寸の足りないあんよを放り出すようにし、お尻でじかに座っての。そちらもしんこ細工みたいに ふかふかぷくぷくの柔らかそうな手で、積み木をよっこらと掴んでは。宙に浮かせたり床に置いたりし、とんとんこんこんと突き合わせる一人遊びに、無心になってる横顔の、何とも清かな愛らしさに満ちていることだろか。陽に透けたまま額へかかる、綿毛のような金絲の軽やかさ。白い頬へと落ちる睫毛の影。一丁前にツンと立ってる小鼻の輪郭。夢中になってるせいだろう、薄く開いた口許の、上下の唇同士が触れるか触れないかする危うさもまた、こちらからの視線を奪ってしまって離さない。真白いお洋服に包まれた、細い肩に薄い背中。小さな顎が時折震えては、鼻歌ででもあるものか、にあにあ・にゃあと小さな声で鳴いて見せて。

 “……あああああ。//////////”

 なんでどうして、この愛らしい姿を残せないのだろうか。勘兵衛様は、そうと見える自分たち二人が忘れねばいいことと仰せであった。それは確かにその通りでもあろうけど、日いちにちと、微妙にさまざまなお顔を見せてくれる愛らしい坊やの、あんなお顔やこんなお顔、例えば寝てしまった後なんかに も一度観たいと思っても、それが叶わないのは何だか理不尽な気さえして。そんな欲求をどうしても満たしたいというのならと、最近の七郎次が増やした趣味が、

  ―― 言わずと知れた“スケッチ”だったりし。

 勘兵衛の、職業にさえなっている“文才”ほどではないながら。それでも初心者にしては、形や質感を素直に写し取るセンスも、色みを再現する手際もなかなかの腕前。鉛筆での線描き程度に描いていたものが、最近では水性の色鉛筆まで使うようになり。イラストチックにもならず、かと言って極端な写実へも偏らずの、何とも愛らしい和子の姿ばかりが、少しずつ少しずつ書き溜められていはするのだが。

 「にゃ?」

 そんなこちらへ気がつくと、お顔が上がっての肩越しにこちらを振り返り。そこから手をつき、よっこらせと立ち上がる坊やであり。PCのお仕事や台所でのお片付け。おあったんなら遊ぼう遊ぼうと、とてとち寄って来る坊やであり。

 「にぁん?」

 何これ? 何してるの? スケッチブックに手をかけて引っ張り始め、遊び道具にされかかるので。日曜画家さん、あわわと大慌て。

 「あ、そうだね。遊ぼうね。」

 紙を爪で引っ掻いて破るのも、牙でかぷかぷして裂いてしまうのも、仔猫には格好の楽しい遊び。襖のあるお部屋がどんな惨状になったかは、それ以降 この子一人では入れないようにと、勘兵衛と七郎次が速効で取り決めたくらいというから…推して知るべし。

 「何して遊ぼうか。あ、そうだ。
  モーラーっていうふさふさしたネズミのおもちゃを、林田くんがくれたんだよ?」

 パタリとたたんでリボンで封をしたスケッチブックには、残念ながらというべきか、正面を向いてるお顔が少ない。だってこっちを向いたら見たらば、そのまま“遊ぼう遊ぶの”とたかたか寄ってくる久蔵なので。向かい合った格好で、大人しく…していてくれるはずがないというもの。1枚だけあるのは寝ているお顔で、可愛いには可愛いが、どうせなら可愛いお眸々がぱちり開いてるお顔を描きたいと。新米画家殿の欲望は、

 “なかなか尽きぬようだの”

 ……と。時折中身を盗み見ては、苦笑の絶えない勘兵衛様だったりするらしいのでございます。


  〜Fine〜  09.05.06.


  *自分たちにだけしか見えない坊や。
   仔猫の姿のほうこそ、鏡や写真に写さなきゃ見えないのにね。
   どうしてもどうしても、
   手元に何時でも見られるものとしたい七郎次さんらしいのですが、
   スケッチブックを林田くん辺りに見られたら、

   「…シチさん、そこまで病膏肓だったんですか?」

   とか言われかねないぞ? 気をつけねば。
(笑)

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv

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